橋本駅にウタイストを見に行く
Youtubeで活躍されている滝澤さんがされているウタイストという2人をみに横浜線の橋本駅まで行って来ました。
なぜこの時期なのかわからないのですが、橋本七夕まつりというイベントの一部で、駅前も屋台があって楽しい雰囲気でした。
ウタイストはフリーライブを結構やっていて、これまでも行きたいと思いながらタイミングが合わず逃していたから今回無事に見れるかちょっと不安でしたがちゃんと近くで見れました。
最初にスピッツのロビンソンをアカペラで歌ったのですが、これが圧巻でした。
吹き抜けのホールいっぱいに気を充満させるような、そこにある全てを染めるような、グッと心にダイレクトに入ってくる歌声でした。
相変わらず心の中は仕事のことで鬱々としているんだけど、家にこもらずに出かけて行って正解でした。
自分たちの力でああいう空間を作って、明るくて、賢くて、そうやって生きている人を見れて良かった。
才能ももちろん素晴らしいけど、それだけじゃない気もする。
仕事を始めてから何度も何度も思ってきたけれど、やっぱりちゃんと自分の居場所や仕事のことを考えたほうが良いなって今日また思いました。
そして行きの電車で聞いていた小澤俊夫さんのポッドキャストのバックナンバーもとても良かった。
心の安定について考えすぎることが良くないんだと。
心なんてどうにもならない。楽しいと思うことを納得するまでやれば良いと。
そして、何かを始めるのに遅いなんてことはない。これからの人生で今日、今の自分がいちばん若いんだと。88才になった自分もそう思って生きているって。
なんて素晴らしい人なんだろう。
こんなに強くて優しい人もいるんだな。
■
昨日お酒を飲みすぎたせいで今日は気持ちが悪い1日だった。
1日ゴロゴロして過ごした。
昨日はお酒を飲んで、これくらいの気持ちになりたいなという期待を持っていたのだけど、いまいちそういう風にならなくて、モヤモヤが残っている。
相対的に見ると幸せそうに見えることも、どれくらいを望むかによって気分は変わってくる。
もしかすると、そこで期待することを諦めるから、モヤモヤするのかもしれないけれど。
夕方からアマゾンプライムで「恋人までの距離」って映画を見たらすごくよかった。
時間と、空間と、会話が良い映画が好きだ。アクションはなくても良いなとおもう。
今日も残り4時間くらい。
引き続きダラダラして寝ようとおもう。
3日連続同僚と夜ごはん
おとといは中華、昨日はお好み焼き、今日は回転寿司と3日続けて会社の人と夜ごはんを食べた。
別に辛くもないけれど、楽しくもない。
でも最近会社に入ってきた中途社員と話をするのは少し楽しくなってきた。
彼は実家が商売をしている関係もあって、長い間会社というものに所属していなかった。
その感覚は実は普通なのだろうけど、長い会社生活に慣れた僕にとっては興味深いものがある。
反応がストレートなんだとおもう。
と言いつつ、明日の会議のことが頭から離れない。
今から明日のことを憂いているなんて、やっぱりおかしいよな。
サラリーマンってのは巧妙に仕組まれた働かせ装置だ。
どこまでみんな分かっているのかわからないけれど、みんなで目をさましたらおもしろいのに。
もうほとんど生きる為のモチベーションはないけれど、それでもあしたが来て、僕は準備して会社に出かけて行く。
この希望がない感じこそ、働かせ装置の完成形。
僕たちが目覚めれば、そんなのほんとは大したことないのに。
仕事に追い立てられる
朝になるとモヤモヤとなる。
自分の感情を観察する。
働いてきた長い時間をかけて、気楽な感じとか、豊かさをなくしてしまったということがわかる。
取り戻そうとしても、なにをすれば良いのかわからない。
働いている時間のすべてが嫌なわけじゃないけれど、少しの強い嫌なことが他のすべてへ影響する。
これは僕の物事の捉え方の悪い癖なのかもしれないけれど、心をどうにかしようとするのは違うとおもう。
今日も1日が始まって、動きに反応して、消耗して終わる。
毎日少しづつ変わる為のエネルギーを貯めていこう。
僕を変えるのではなく、環境を変えるために。
相性って
完璧なパートナーなどいないからこそ
人には可能性があるのかもしれない。
完璧に気の合う人がいないからこそ、
誰かここにいない人と会いたいと思うように。
すべての関係は微妙にずれている。
それを嘆くなことなんてない
なんて
気取ったことを書きました。
好きな人と近づけないことの言い訳を言ってみたかっただけです。
はーあ
会社で働きたくない。
公の場では大きな声では言えないが、僕は働きたくない。
仕事に行く朝、本当のため息を何度もつくし、仕事中も、なんとか何事もなく1日が終わることだけを願っている。
建前を取っ払って本音を言えば、仕事をしているくらいなら死んだほうがマシだなともおもう。
でも、僕は生きているし、仕事もしている。
それはなぜかと言うと、死んだほうがマシって言っても、すすんで死にたいわけじゃないし、仕事をしていない日々のことを想像すると、それはそれで希望がない気がするから。もしかしたら希望が溢れ出すのかもしれないけど。
今ネットの世界でよく見る、教える系のフリーランスの人に言わせたら、自分で稼げばいいんですよ!って言われそうだけど、そんなセンスも、気力もない。
要するにふにゃふにゃと毎日をすり抜けて生きているだけなのです。
そもそも、会社って組織でやることは、僕にとってどうでも良いことばかりだし、地獄ってのを現世で表現するするなら、ちょうどあんな感じになるんじゃないかとおもう。
同僚や直属の上司は綺麗なことを言って自分の仕事を正当化しているが、
「明日から今の仕事をやめても同じだけのお金を口座に振り込むよ。仕事どうする続ける?やめる?」
って聞かれたら、本当にほどんどの人が辞めるとおもう。
それってどう解釈すれば良いのだろう。
しかも給料ってのはなんとか今月は生きていけるけど、頑張って10年働いたから楽ができるようには設定されていない。
それが、うまく労働力を使うコツみたいなものなのだろうけど。
つまり、不利な条件で僕らはうまく使われてるだけってことかな。
得をしている誰かが、社長ってレベルじゃなくて、いるんだろうけど。
うーん、、、
最近やたらと多い、細いかいことは気にせずにポジティブに!みたいなノリについていけないので、本音をぶちまけて見ました。
こういう考えは、僕と、ある友達としか共有できないかもしれないけれど。